マイクロプロセッサ4004から Z80の開発者の一人、嶋正利先生のブログを掲載している、Visual Technology Premier Site。
なんだかんだいってコンピュータに少しは関連する仕事をしているのも、
個人的な興味でサーバいじりなどをしているのも、子供の頃に親に買ってもらったマイコンがきっかけだった。当時はパソコンのことをマイコンと呼んでいた。マイクロ、でもあり、「私の」のマイでもあった。
結局はゲームマシンで終わったのだが、兄が早くからプログラミングに興味を持っていたせいか、PC6001用のZ80アセンブラなんてものも購入していた。とはいっても小学生だったので、足し算をするところまでがせいぜいだったが、突き詰めていればもう少しまともなプログラマーになっていたのだろう。生来飽きっぽい性格なこともあり、結果がすぐに得られないプログラミングには興味が持てなかった。もちろんハードウェア構成のことなんか頭にないので、アキュームレータみたいな万能っぽいレジスタがいっぱいあればそれで事足りるんちゃうの?、などと浅いことを考えていた。
やっと、趣味でちょこちょこと書くRubyに至って、プログラミングが面白いと思えるようにはなった。仕事では組み込みプロセッサ向けにCで書くこともあるが、これはあくまで目的のほうに興味があるからやってることで、プログラムすることには面白みを感じない。どちらかというと、周辺ハードウェアやプロセッサそのものまで疑いつつ行うデバグのほうが面白い。
4004は電卓に搭載するために生まれた世界初のマイクロプロセッサであるが、電卓が動いた瞬間について、印象的で感動的な文章が割かれている。
システム屋ってなに?と言われながらシステム屋の端くれとして給料をもらっている人間としては、リセットボタンから手を放すところのくだりなどは感涙なくしては読めない。自分が技術屋をやっているのも、この「動いた!」の瞬間のためと言っても過言ではない。
いかに作るかといった時代から、何を作るかという創造が要求される時代となった。
と言う先生の言葉が重い。その後30年以上を経た現在、実際のところは、設計の抽象度が高まってきてはいるが、逆にそのせいで、「いかに」の部分が十分に隠蔽しきれていないために各種の矛盾が起きてしまっている。しかし、何を作るかというレベルの思想や信念があればそういうのは乗り越えられる。何か問題があって「いかに」レベルに降りて行っても、戻れる場所があるからだ。
さて、じゃあ何をつくりましょうか。それが大きな問題であることには変わりない。
...なんだかちょっと熱く語ってしまったが、たぶん、参照先の文体が伝染したせいだろう。技術屋の最重要スキルは「日本語」だという持論があるが、嶋先生の文章は密度も読みやすさも、そして熱さも、全くすばらしいと思った。今後の糧にしたい。
以下ご参考まで。。<br><br>ちえの和WEBページ(嶋先生他の偉人伝あり)<br>http://www.chienowa.co.jp/index.html<br><br>Laborプロジェクト(まつもとさんの所属研究所が出した業務用オープンソース。実は職場で使ってみようかと画策中。)<br>http://www.labor-project.com/